教育・子育て

2022/09/06

第3回 「何でも出来る子に育てるか、突出した子に育てるか」

小学校5年生(男の子)と2年生(女の子)の子を持つ母親です。
子どもには多くの体験をさせることが大切だと思い、
様々なワークショップ(年間30回ほど)に参加していますが、
子どもをみていると、少々食傷ぎみという感じです。

私は、様々な出会いや体験をすることで、
子どもの将来につながってくれればいいかなと思っていますが、
最近、感じることは、何でも卒なくこなす子に育てるか、
それとも何か専門的能力を持つ突出した子に育てていけばいいか
ということです。先生はどのようにお考えになるでしょうか。
(仮名:石井さん)

何でもやりたい子ども時代

小さいころから、多くのワークショップに参加できるというのは、
幸せなお子さんですね。
大きいイベントがあれば、
ワークショップに参加する人は多少いらっしゃるかもしれませんが、
年間30回ものワークショップに参加するという人はあまりみかけません。

しかし、ご質問の焦点は、ワークショップの多寡というよりも、
お子さんを、何でもできる子か、
それともある能力を引き出して突出した子に育てていくか
ということですね。
突出した才能という意味がどの程度のことを指すのかわかりませんが、
例えば、世間では天才的子役が活躍していたり、
最近ではフィギュアスケートの若い日本の選手たちが
多く活躍したりしています。
そのような姿を見て、
自分の子どももできればあのようになってもらいたいと
思われるかもしれません。
昨今、ピアノ、英語、体操、そろばんといった
習い事に通う小学生が増えてきました。
しかし多くの親御さんは、
その道のプロになってもらいたいというよりは、
情操教育として今後役立つだろうという気持ちで習わせている方が
多いようです。
中にはピアノが上手な子、絵が上手な子、そろばん、
水泳が得意な子など様々な能力を小さいときから発揮する子がいます。
小さい時にピアノをやらせてみたら、
短期間で上手に弾けるようになった我が子を見て、
「この子は将来天才ピアニストになるかもしれない!」と
密かな期待を持ち、
プロの道へと子どもを育てたいと思われたことがあるかもしれません。
実際、そのまま専門的なレッスンを受けさせて
天才ピアニストになった子もいるかもしれませんが、
一方で、小さい子どもは、何にでも興味関心があり、
強い好奇心を持ちますが、その対象は次々と変わっていくことも、
子ども時代の特徴です。

生まれながらにして持つ3つの能力

一つのことに特化させると、
その他のことは排除しなければならないことがあるので、
見極めは非常に重要になりますね。

では、何でも卒なくこなす子に育てた方がいいのか、
それとも何か専門的能力を持つ突出した子に育てていけばいいのか、
それをどう見極めていけばよいのでしょうか。
私は次のように考えています。

それは「ジェネラリスト(何でも卒なくこなす優等生タイプ)と
プロフェッショナル(突出した能力を発揮する職人タイプ)の
どちらでも良い。
子供の時に専門教育を行うことも悪くない。
しかし、問題は子どもが何に非常(・・)な関心を持つか」
ということです。どちらかが良いとは私は考えません。
人は皆それぞれ才能が違っていますし、生育環境が異なるため、
「一様に〇〇をやれば良い!」という方法があるわけではありません。
しかし、ここからが大切なお話になります。

人は生まれたときに最低3つの才能を与えられているといいます。
しかしその才能が学校での主要教科の
英数国理社に入っていない可能性が非常に高いのです。
もしこれらの教科に才能を与えられていれば、
学者になるか、語学の達人である翻訳者、通訳者になるか、
または作家になっています。
しかしこのような人は全体から考えるとレアケースですね。

それよりも、モノを作ることに才能を与えられていたり、
人と話をするコミュニケーション能力に才能を与えられていたりすること
が多いのです。
現在の高校入試、大学入試では随分と
入試科目に弾力性がでてきましたが、
まだまだ英語を必須とした主要教科に焦点が当てられており、
それができないと何か人間として否定されたような
錯覚を感じるということがあります。
ジェネラリストへの道なのか、
それともプロフェッショナルな道へ導くのか、
私が実際に経験した2つの事例が参考になると思いますので
お話をします。

何でも出来る子か?何かに突出した子か?≪事例①≫

私が指導していた生徒に竹内さんという中学2年生の女子がいました。
彼女は勉強ができず成績はオール2に近い成績でした。
竹内さんは教えてもすぐに忘れてしまうという傾向があり、
成績を上げることは非常に困難だと思われていたのです。

しかし、あるとき彼女と話をしていて、
絵を描くことが非常に好きだということがわかったのです。
そこで美術の成績で最高得点取ろうということを話し合い、
どのようにしたらさらに上手な絵が描けるかということを
一緒に勉強しました。
通常、学習塾では美術は教えませんが、
美術で5を取るための努力をした結果、半年後にようやく5が取れ、
勉強に自信を持っていなかった彼女は美術で自信をつけ、
日々生き生きとするようになったのです。

その結果、他教科に影響が出てきました。
教えたことをすぐ忘れるという傾向があった彼女は、
それほど大きく成績は上がりませんでしたが
第一志望校に合格できるだけの力がつき無事に進学できました。

その後、彼女は美大に進みました。
今思い起こすとこの子は、非常に真面目な子だったのですが、
おそらくLDという学習障害児であったかもしれません。
しかし、人には何かしら才能が与えられていますから、
それを見つけていくとその子の生まれてきた目的が見えてきます。
それは通常、「得意なこと」「好きなこと」「(他者からみた)長所」
にあるのです。
それを上手にサポートしてあげると、
いわゆる「化ける」子が誕生します。
だからといってマスコミに騒がれる有名人になるという意味ではなく、
その子が生き生きと生活できるための「専門領域」を
持つようになれるという意味です。

何でも出来る子か?何かに突出した子か?≪事例②≫

もう一つの事例は、
山田さん(45歳女性)とお話していたときのことです。

山田さんは現在、介護職員をされています。
しかし小さい頃から高校生までは
バレリーナになるために厳しい訓練を受けていたようです。
小さいころに母親から強制的にバレーを習わされて、
非常に厳しい訓練と食事制限の中、なかなかやめさせてもらえず、
学業にも集中できなかったようです。

結果としてバレリーナの道は絶たれ、
山田さん曰く「普通の学生のように勉強していたら、
私はもっと違った人生に行けていた」といいます。
そして自分の母親を恨んでいるのです。
介護という尊い仕事をされているにもかかわらず、
このような発言がでるとは、とても不幸なことです。
もちろん一方で、世の中には小さいころからバレリーナの訓練を受け、
現在世界的に活躍されている方もいらっしゃいます。

山田さんの場合は、
好きでもないバレーに厳しい訓練を受けさせられたという
被害者意識が強い状態であったようです。
これではうまくいくはずもありません。

お子さんを、ジェネラリスト(何でも卒なくこなす優等生タイプ)、
プロフェッショナル(突出した能力を発揮するタイプ)の
いずれかに育てるというよりも、
お子さんが何に強く関心を持っているのかということに
焦点を当てていくことが懸命です。
また、子どもの関心も随時変わっていきます。
そのような関心の連鎖の中で、
親としてはそれらを否定するのではなく応援し、
また親のエゴや見栄によって子どもを誘導するのではなく、
子どもの人生のために適切な環境をつくってあげようと考えれば、
お子さんは自主的に能力に目覚め、
自らの進路について真剣に考えるときが必ずやってくるでしょう。

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