そろばん学習

2022/08/31

そろばんの歴史について

原形は4〜5,000年前、メソポタミア地方で生まれたとされ、人類の歴史において重要な役割を果たしてきたそろばん。ここでは、主に日本でのそろばんの歴史についてご紹介します。

そろばんの伝来こそ日本の計算教育の始まり

中国で発明されたそろばんが日本へ伝わってきたのは1570年代。
室町時代の後期〜末期だといわれています。当時庶民の生活は、物々交換
や戦による強奪で成り立っていた時代。

計算は貴族の遊びのなかでしか行われておらず、それまで一般的な教育は
ありませんでした。それゆえ、そろばんの伝来とともに計算の教育が始まったといえます。

じつは最初にそろばんを使い始めたのは武士。応仁の乱から始まった戦いの時代に、
兵士の分配や兵糧の調達、武器の売買等には計算が必須であり、
計算ができなければ戦いに勝つことはできなかったのです。

出世のために習得した「読み書きそろばん」

教育が幅広く普及するようになったのは、戦がなくなり、
平和な時代になってから。商業が発達し、物の売り買いが盛んに行われる
ようになると、「読み書きそろばん」は立身出世に欠かせない条件となり、
子どもたちも寺子屋や丁稚奉公先でそろばんを学ぶようになります。

やがて時代は江戸から明治へ。社会が大きく変化するなかで、
一度そろばんは明治政府により禁止されます。

明治4年にできた小学校では、アラビア数字を用いた筆算という
ヨーロッパ式の数学が採用され、そろばんを含む徳川時代の教育制度を
排除しようとしたのです。

時代の変遷とともに使い方・形状も変化

ところが庶民の生活には長年の伝統によりそろばんが定着していたため、
そろばんを学べないなら行く意味がないと、学校に行かない子供が続出。

そうした事態に対し政府は、国民が教育に背を向けてしまうのはまずいと考え、
翌年にはそろばんでの計算教育も認めることに。
とはいえ、明治政府としては徳川の遺物であるそろばんは早々に排除し、
筆算を普及させたいのが本心です。

一方でそろばんを教える人たちも、この先筆算が蔓延してそろぱんが
廃止されては困るため、お互いが歩み寄って妥協案を考えます。
江戸時代には様々な流派が乱立していたそろばんの使い方を、
学校で指導しやすいよう統一。

さらに、政府が推奨しているアラビア数字を使ってできるようにしました。
それにより、そろばんそのものの形も変わっていきます。
明治の中頃までは上の五玉が2個、下の一玉が5個のそろばんを使っていましたが、
使い方の統一によって上が1個、下が5個のそろばんが主流に。

さらに、より早く計算できる十進法の普及に伴い、昭和13年には上が
1個、下が4個となります。

戦後になって、定位点も日本式の4桁区切りから西洋式の3桁区切りとな
り、現在のそろばんの形に至っています。

黄金時代から急速な衰退を経て、再ブームへ

その後、そろばんはますます盛んに。昭和30〜40年代には、
小学生10人のうち4〜5人はそろばんを習っているほどの黄金時代へと
突入します。級の取得が就職に有利とされ、そろばん人口は約800万人にものぼりました。

しかし、昭和50年頃を境に、電卓などの登場によりそろばんの実務価値が
なくなり、急速にそろばん人口は減っていきます。受験戦争の勃発、
ITの進化と急速な普及、少子化の始まりなどを経て、
平成17年頃には、そろばんはもはや消滅するのではないかとまで言われました。

しかし、消滅は免れます。ちょうどその頃から始まった脳科学ブームに
より、脳力開発のツールとしてそろばんが再注目されたのです。

まとめ

かつては立身出世の手段であり、社会生活に密接した計算道具だった
そろばんが、現代では脳力開発ツールに。
これが、時代の変遷とともに変化しながら現代へと伝えられてきたそろばん教育の歴史です。

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